あれから10年。

今日ばかりは思いを馳せずにはいられません。

黙祷をささげつつ。

毎年同じことを書くことになるのかもしれませんが…

あの日の事を忘れることは出来ない、忘れてはいけないという思いも込めて。

※ここから先は当時の事を思い出しながら書きます。読む方によってはショックを受けるかもしれませんので、ご注意ください。※

10年前はまだ航空自衛官でした。

翌日に祭典を控えていたので、私はその会場準備をしていました。

建物の6階にいた私たちは揺れに気づくことは全くなく。

明日に備えてせかせかと準備をしていました。

そこに内線がかかってきて。全員至急職場に戻れ、と。

何事かと思いながら、その時は笑いながら職場に戻ったのですが…

職場をみて空気が一変。

何事が起ったのか、状況把握をするとともに、職場のテレビに映された報道中継の映像が今でも忘れることが出来ません。

松島にある航空自衛隊。そこにはもちろん同期もいます。

現状がなにも伝わってこない。

だけれども、とにかく災害派遣に向けての準備を進めなくてはいけない。

自衛隊内での情報よりも、とにかくテレビから流れ来る映像が頭に焼き付いて離れない。

これは現実なのか?現実なのだけれど脳内の情報処理が追い付かない。

ここはいつもと変わらないのに。テレビの向こうが非現実的すぎて。

あの日は22時くらいまで職場に待機していた。

けれども出来る事は何もなくて。

ただただ皆でテレビから流れてくる情報を見ていた。

それでもやはり現実味がなくて。

22時過ぎにいったん自宅待機となり、帰宅する車の中ではラジオを聞いていた。

そこから流れてくる「真っ暗な浜辺に無数のご遺体が…一体どれだけの数なのでしょう」というアナウンサーの声を聞いて涙が止まらなくなった。

そこから数日は、いつ呼び出しがかかってもおかしくない、そんな日々が続いた。

私の所属する部隊はもともと人数が少ない事もあり、災害派遣時でも人員を割くことはほとんどなかった。

それでも、当時はうちの部隊からも東北に派遣される事態となっていた。

自分に出来る事は本当に一握りの事しかなく。

物資を準備したり、器材を準備したり。

遠く離れた北陸の地でも、これだけ空気が張りつめているのに。

現地ではいかほどのことだったのだろうか…

10年前のあの日、あの時間の事は絶対忘れることが出来ない。

あれから10年。今でも癒えない傷がいたるところにたくさんあって。

私なんかには計り知れないくらいのことがまだまだたくさんあるのだろうけれど。

今の自分に出来る事を。どんなに小さなことでもいいから。

3.11 これからも、できること| Yahoo! JAPAN / LINE

いつも以上にまとまりのない文章となりましたが。

今日も笑って過ごせる日々に感謝を込めて。

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